氷の博物館

人と氷の関係史

人と氷の係わり合いの始まりは、遥か昔にさかのぼります。現在のように製氷機や冷蔵庫などの機械がなかった時代には、自然界で凍った天然の氷が大変高価なものとして扱われました。また人工で氷を製造したり保存したり出来るようになってからも、氷は欠かせない存在として人々の生活に深く関わってきました。ここでは人と氷の係わり合いの歴史をちょっと紐解いてみます。

蔵氷・賜氷制度の誕生秘話

今から1600年以上もの昔のことです。現在の奈良市郊外都祁村にあたる「鬪鷄(つげ)」という所で猟をしていた額田大中彦皇子が、その都祁の地の鬪鷄稲置大山主(つけのいなきおおやまぬし)が所有していた氷室を発見しました。そして皇子がその氷室の氷を天皇への献上品として差し出したところ天皇は大変喜ばれ、これがきっかけとなり日本古代律令国家に蔵氷と賜氷という制度が生まれました。

氷を愛でた平安貴族

清少納言の「枕草子」にはかき氷の元祖と思われる食べ物について「甘いシロップをかけた削り氷が銀の器に入った涼しげな様子は実に優雅である。」と書かれています。また、紫式部の「源氏物語」には宮中の女房たちが夏の夕暮れ時に氷室から取り出した氷を割って、額や胸などに押し当てて涼をとる様子や、夏の盛り、源氏の君が青年達に氷室から出した氷を振舞う様子が描かれています。このようなことから氷が当時の平安貴族の夏の贅沢な楽しみとされていたことをうかがい知ることが出来ます。

将軍家への献上氷

平安時代まで盛んだった蔵氷と賜氷の制度は一旦衰退を見せたものの江戸時代には徳川将軍への献上という形で引き継がれました。加賀藩では氷室に貯えてあった氷を5月末に江戸へ向けて早飛脚を飛ばし、普通なら10日前後掛かるところを人足を交代しながら昼夜を徹して5日間で運んだと言われています。

庶民が食した氷

古代から近世にかけて献納品として一部の貴族や上流階級のみしか利用が出来なかった氷も、江戸時代、氷の保存がきく雪国の方では、夏に庶民にも売られていました。しかし雪国から遠く離れた場所の江戸の庶民にとっては、氷は大変珍しくなかなか口にすることの出来ない高級品でした。

中川喜兵衛と明治の氷

幕末期、外国人医師たちが治療用に使ったボストン氷と呼ばれる天然氷はアフリカ・喜望峰経由の大航海を経て日本に輸入されていたので大変高価なものでした。そんな時代に中川嘉兵衛という男が氷業に夢を掛け邁進しました。嘉兵衛は莫大な借金を作りながらも試行錯誤の末、函館五稜郭の天然氷を商品化することに成功しました。その氷はボストン氷に比べて安価で手に入れられたので全国的なブームとなり庶民にも広がりました。しかし一大ブームを起こした天然氷も安価で氷が作れる製氷機械の発達に従い衰退し始め、機械氷が急速に発展拡大していきました。とは言え天然氷の創始者嘉兵衛は早くから機械製氷時代の到来を見越していて日本初の製氷会社を設立し、その後も変わらず氷業に従事し続けました。

コンビニと氷の意外な関係

電気冷蔵庫の普及率が低かった頃、米国南部の暑い地域では生活と氷は切っても切れない関係でした。どんな小さな町にも夏の間だけ開店する氷販売店があり、ある時その中の一軒が夏の間だけではなく年中無休、週7日1日16時間の営業を行ってめっぽう評判を呼びました。それが次第にお客の要望で氷に加えて食料品も売るようになり現在のコンビニエンスストア誕生に至るという訳です。